投稿者:さざみりなさん


リリス5W1H


 遠いあの日の言葉を、今でも僕は覚えている。

 清潔で無機質な実験室の中。
 ジェネレーターの外側から、複数の男の声が言の葉となって流れてきた。
 耳を閉じていても聞こえる、模糊として不明瞭、不快な反響音。
 これは、ロシア語だろうか。

『第六虚数解が……』
『この思念が男性体とすれば、男はイヴとリリスのどちらを選ぶのか……』

(イヴとリリス……?何の話だろう)

 一瞬考える。
 けれど、それがLOVERS本来の解釈となるひとつであることに思い当たった。

 イヴとリリス。二人の恋人に挟まれた男。
 どちらかを彼は選ばなければならない。
 しかしどちらを選んでも、心は残した相手に縛られる。

 イヴは安定、リリスは変革の象徴。
 男は安定した世界を選ぶのか、変革する世界を選ぶのか。

 (もし、そうだというならば──)

 思念体となったすべてで、僕は彼女を想う。
 動かない身体。切り刻まれる思念。
 けれど、彼女に想いを馳せる心だけはいつでも僕のもの。
 それだけは譲れない。


──誰かから、必要な人間やないって言われたことある?──



 それはひとりの、痩せっぽちの少女。
 『過去の自分を否定しないため』のティターンズと、微笑っていた。
 それは少し寂しいねと言うと、自分なりに満足した答えだからと自嘲的な笑みを浮かべていた。

 世界のために戦い、世界に愛されなかったその存在を、僕は決して忘れはしない。
 
 彼女は、僕にとってイヴだったのだろうか。それとも、リリスだったのか。
 答えは胸の中にあるのに、それを見出せることがどうしてもできない。
 しこりとなることを知りながら、臆病な僕は思考を澱の中に心の奥底に沈めたまま、それ以上考えることを止めた。


§§§




 乾いた大地を踏みしめ、針葉樹に覆われた暗い森の中を歩く。
 足を一歩踏み出すたび、ぱきりと枝の折れる音が辺りに響いた。
 風が、ごごうと空に凪ぐ。
 6月という季節に関わらずに乾いた冷たい風が遠くへと舞う。
 他に聞こえるものといえば、僕の協力者が後ろで歩くときに聞こえる、木々を踏みしめる音程度だ。

「あははっ。やっぱこういうパキパキって音って楽しいよね」
「……そうかい?」
「そうよ、すごい快感♪ 踏みにじるって大好き」
「相変わらず趣味が悪いね」
「……そう? 人間だったら当たり前の感情だと思うけど?」

 楽しげに歩く彼女の声音に、僕は歩を止めて振り向く。
 肩をすくめ「……僕は人間じゃないからわからないね」と呟くと、ニヤリと彼女は顔を歪ませた。
 歪めた表情すらコケティッシュさを生み出すことを、恐らく自ら計算してるのだろう。くしゃりとさせた表情には愛嬌すら漂っている。

「ふふん。自分だってわざわざ実体化させて音を立ててるくせによく言うよ」
「……」

 思わず大地をぎり、と踏みしめると、ばきっと強い音が聞こえた。

(──確かに、彼女の言う通りだ)

 図星をさされ言い返すことが出来ず、押し黙る。
 別に深い意味があったわけじゃない。

 ただ、木々を踏みしめるのに、音を立てないってことに対して無意識に違和感を覚えてただろうことは否定できなかった。

(……こういうのって、人間時代の無意識の習慣かな)

 そんな、遠い過去に捨てたはずの習慣に忌々しさを覚え、チッと軽く舌を打つ。
 その舌打ちが更に彼女の興をそそったらしく、浮かべる笑みの色をますます強くした。

「人間嫌いの《恋人たち》。……なぁんて。随分皮肉な名前よね」
「別に。人間嫌いなわけじゃない」

 しれっとしてそんな言葉を口にすると、きょとんと彼女は僕を見た。
 気にせず、僕は言葉を続ける。

「ただ、あんな存在は滅びても構わないって見下してるだけさ」

 それは君も同じだろう? と視線で問うと、今度は彼女が肩をすくませる。

「べっつにぃ? 人間嫌いでも、見下してるわけでもないわよ?」
「ふぅん。意外だね。とてもそうは思えないけど」
「何いってんのよ。だって、《悪魔》ちゃんの論理は《悪魔》ちゃんだけのもの。そしてそれは《恋人たち》とは違う。当然でしょ?」
「まぁね」
「そして《悪魔》ちゃんも、自らの論理による思考の結果、プロメテウスとして成り立ってるわけよ」
「……」
「その結果が一緒だとしても、根拠は全然違う。《太陽》の協力者だってそう言ってたじゃない」
「つまり、人それぞれだってことかい?」
「そゆこと。あえて言うなら、精霊それぞれ?」
「確かに。僕たちの理由なんてそれぞれ違うものだね」
 
 ああ、そうだ。
 僕の理由は僕だけのもの。彼女の理由も彼女だけのもの。
 誰だってそうだ。人には歴史がある。その歴史が思考を決定付ける。
 《死神》が僕たちとのフェーデに勝利するならば、後に彼がプロメテウスに転向するのも彼だけの理由があるだろう。

「《魔法使い》なんて、理由がはっきりしていて羨ましいくらいだ」

 先ほどの不機嫌そうな顔を思い出し、くすりと笑う。
 いつだってそうだ。彼の論理はひとつしかない。
 先ほどの、《神の家》と《魔法使い》を交えた会話を思い出した。
 彼の存在意義のベクトルは、常に特定の女性に向けられている。
 相手こそ違うが、過去も未来も。 

「……羨ましい? どっこがぁ? ありゃ不毛っていうのよ。だってさぁ、人妻への横恋慕よ?」
「……まぁね」

 違いない。

「そもそも、恋愛感情を軸とした思想なんてことは僕にはわからないし、わかりたくもないけどね」
「いいじゃない? お盛んで」

 けけ、と下卑たような声で意地悪く《悪魔》が笑う。
 だけど若干品のない内容に僕が少し鼻白むと、こちらが話題に乗ってこないことへ不満を覚えたのか(僕から言わせれば当たり前だ)彼女がそれ以上言葉を重ねることはなかった。

「大体、そもそも人のことを言えた義理じゃないんじゃないのかい? 《悪魔》は」

(僕が何も知らないって思ってる?)

 そんな揶揄をこめた言葉が、口をついてでる。
 直接会う機会はなかったけれど、彼女の最初の協力者との仲は周知の噂だ。
 けれど《悪魔》は、きょとんとして眉根を寄せ、「何言ってんの? 余裕で言えるわよ?」と嘯く。

「……そう?」

(……噂と違うな)

 首をかしげた。しかし、躊躇いのないその言葉には嘘は感じられない。
 少しの逡巡も感じさせない返事に対し、僕は二の句を告げることができなかった。

「そーよ。ふふん。あっくまちゃんは、恋にウツツを抜かしたことなんて一度もないんだから」
「一度も?」
「もちろん。でも、演技は別、よ?」
「演技?」
「んー。カインちゃんのことは好きだったけど、《悪魔》ちゃんが望む愛しかたをしてくれないから必要なかっただけ」
「……そう」
「だって女は役者だから。嘘はつかなくてもその気になったフリなんていくらでもできるの」
「……」

 ……女は役者、か。なるほどね。
 ならば演じていた彼女は、男は道化とでも言うんだろうか?
 そうかもしれない。

(けれど道化も、役者として舞台に上がってるんだ。……望むと望まざるとも関わらず)

「別に。役者なのは女だけじゃないさ」
「……えっ?」
「男女関係なく、所詮僕たちは運命という舞台の狂言コマに過ぎない」

 踊ってるつもりで、踊らされている。いつも、いつだって。

 深い緑に覆われた空を見上げると、風はごう、と僕たちの髪をなで上げ、強く凪いだ。

 お互いの視線を絡めあう。
 そこに、甘やいだものは一切ない。
 共に目を眇めて、真意を探るような目つき。
 たっぷりの時間がたった後、耐え切れず先に伏し目がちに目を逸らしたのは彼女だった。

「……そんなの、わかってるわよ。だって、運命に抗うためのプロメテウスじゃない」
「そうだね」

 彼女の言葉は正論なのに、視線を先に逸らしたことによりどこか敗北感さえ感じさせる。
 そのことに彼女も恐らく自分で気づいているだろう。
 それでも、と僕は言葉を口の中で転がした。

「僕たちは、運命の犬にはならない」
「……《恋人たち》」

 プロメテウスとして戦う精霊の根拠がまちまちだとしても、与えられた運命に抗うということだけは共通している。

 そのための改変。
 そのためのプロメテウスなのだ。

 きゅっと、決意を身に閉じ込めるように拳を握り締める。
 それだけでも身体に力がみなぎる気がする。

 その力の源は、たったひとつの想い。

「僕たちは、運命に抗うためにここにいる。《死神》なんかに負けはしない」
「うん」

 躊躇いがちながらも、口唇を噛みしめて強く頷く彼女の姿を見つめる。
 彼女は生粋のプロメテウスだ。
 
 今の僕を肯定し、共に戦う存在。

「……《悪魔》ちゃんは負けない。あいつらなんかに負けるもんか。未来を作るのは運命じゃない。意思なんだって思い知らせてやる」
「ああ、そうだ」

 世界は、その巨大な器に収まりきれないほどの絶望に溢れている。
 ならば、変えるしかないじゃないか。

「《恋人たち》。行こっ」

 僕の決意を見透かしたかのように彼女は柔らかく微笑んで、一歩先に足を運びすっと滑らかな手を僕に差し伸べる。

「……ああ」

 華奢な少女の手のひらに、何故か泣きたくなった。

「僕は絶対、このフェーデに勝ってみせる。……負けてたまるもんか」
「そうだよ。《死神》やデカ乳どもなんかに、負けるわけにはいかない」

 僕をさらに先へと誘うその手のひら。
 目の前の彼女は、僕にとってリリスなのか、イヴなのか。

「……《悪魔》」
「え?」

 ……答えは僕にはわからない。
 だけど、今の協力者は《悪魔》だ。
 彼女は戻らない。過去は過去以外の何物でもない。
 それ以上はもう、切り捨てたティターンズ時代の出来事でしかないんだ。

 今の僕は、『過去を否定しないためのティターンズ』なんかじゃない。

「……勝ちに行こう。僕の仲間たちもそれを望んでる」
「うん」

 繋がれた手をぎゅうと強く握り締め、空を見上げる。
 そのことで何が変わるわけではない、感傷に過ぎないとわかっていても。

 そして僕は、かつての協力者に思いを馳せた。

 世界を繋ぎとめようとした少女のために、僕はティターンズとしてこの世界の理を守るために戦っていた。
 なのに今は、同じ少女の存在をきっかけにして、僕はプロメテウスとして世界のルールを反故しようとしている。

 彼女は、僕にとってイヴだったのかリリスだったのか。

 僕にとって、イヴでありリリスとなった少女。
 そのどちらかのみに定義することができず、彼女をきっかけとして僕はここにいる。
 そのことを、もう後悔したりはしないと誓ったのだから。


投稿者後書き

たまたま読んだタロット解釈の本によるLOVERSのカード説明で、イヴとリリスの話があり触発されました〜。
切り捨てたはずの過去に、心を縛られたままの《恋人たち》がコンセプトです。あえて文華の名前は入れない方向で。
他のポイントは、擬音語を多めに入れてみることと、 さりげなく『デカ乳コンビ』に対抗心を燃やす《悪魔》ちゃん。…ここは譲れません。(笑)

部長のコメント

文華を想う《恋人たち》が切ないやら、あぁやっぱり文華が大事なんだと安心するやら。
そして続く後半ではプロメテウス時代の《恋人たち》…
《恋人たち》はティターンズ時代とプロメテウス時代では別人のようになってしまった、と思ってましたがこのお話の中ではちゃんと想いが繋がっているんですね!

 

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