投稿者:み〜なさん
「髪ばかりいじってどうしたのだ」
言われて、あたしは額に持ち上げていた手を下ろした。
「前髪が目に刺さって痛いんだよ」
幸い、ここは人気が多く賑わっていたから多少の独り言には誰も気づかない。
「人間とは不便なものだなァ」
確か、前にも同じようなことを言われた気がするけど……あたしはそういえばと思った。
「あんただって髪長いけど、それ以上伸びたりしないんだよね」
「タロットの大精霊だからな」
胸を張って言う奴の格好は、精霊らしく一般人にそぐわない風体だった。
「……なんか、こういう時って精霊っていいよねぇ」
だって、キューティクルがどうとか美容院行かなきゃとかって無縁だもんね。もちろんトリートメントも。
しみじみ言うあたしに、彼は笑いを交え呆れ声を投ずる。
「このようなことで、便利などと思われるとは思わなかったな。それに、髪が伸びるなどというのは人間にとっては生きている証であろう?」
そりゃそうだ、とあたしも笑みをこぼした。たとえ放電光を出すとはいえ人間なんだ。と、またもや前髪が目に入り、「っつ」ともらす。
「証でもなんでも、どっちにしろ切らなきゃね」
あたしは前髪を真中から少しだけ分ける。前髪以上に、全体的に伸びてしまった髪は唯ほどの長さにはなっていない。しかしこの長さは、あたしが記憶を無くしていた期間を顕わしている。
《魔法使い》を忘れていた期間――。
あたしはかすかに身震いをすると、気を取り直して隣で浮く《魔法使い》を見上げた。
「ね、あとでハサミ貸してよ」
「美容院とやらへ行けばいいのではないか?」
ごもっともな回答だけれど、今のあたしは余裕あるほどの額は持ち合わせてない。
ちなみにお財布も持ってないので、お札や小銭はポケットに素のまま持ち歩いている(男の人がやるようで、ちょっとヤなんだけどね)。
「それならば、錫杖を現金に模せば手っ取り早いだろう」
「それじゃあ万引きと変わらないじゃない。相手が気づかないからってそれはヤなの」
あたしの反論に彼は一言。
「ライコは堅いなァ」
(……この場合、堅いっていうんだろうか)
《魔法使い》はあたしの前に回って、両の手を軽く広げた。
「ライコは片桐やタイガに借りるのさえ渋っているではないか」
あたしはいきなりの通せんぼに立ち止まると、後ろから来る通行人に変な目で見られた。
道の端に寄って、立ち止まることにした。記憶を取り戻し、そして実家に帰るという選択肢を捨てた行き場のないあたしに、大河(兄)と片桐先輩が資金援助してくれたのだ。その大切なお金を美容院になんて使ってられない。それでも、本当は前髪よりも肩から垂れる長い髪が気になってしかたない。
嫌悪感さえあるこの髪を、早く切ってしまいたい。
「バイトでも出来ればいいんだけどねぇ……って何?」
ぼやくあたしをよそに、《魔法使い》が髪に触れてきた。反対の手にはお札が一枚握られている。
「今回ばかりはこれで我慢するのだ。その長い髪はライコに似合わない」
あやすように、あたしの頭をぽむぽむと叩きお札を差し出す。
これで、ってことは、このお金は彼のアイテムを変化したものだろう。
あたしは、しぶしぶ《魔法使い》の厚意に甘えることにした。
「じゃあそこの美容院に行ってくるから、《魔法使い》は適当にうろついてて」
そう言って軽く手を振ると、
「前髪は《魔法使い》が切ってやるからな」
「え?」
発言同様、そのまま突然消えてしまった。
あたしは意味を掴みかねて、カードを取り出し聞こうとした。
『《魔法使い》、《魔法使い》?』
『なんだ』
『なんだじゃないよ、今のどういう意味?』
まだ近くにいるんじゃないかと、あたしは辺りを見回しながら問う。
『たまには《魔法使い》が切ってやろうと思ったのさ』
『……ハサミ持ったことあるわけ?』
あたしはじっとりとカードを見るが、そこに映し出されるのは空っぽな枠だけだ。
『早くしないと日が暮れてしまうぞ』
確かに日は傾き始めているけど、なんだか《魔法使い》が気恥ずかしそうにしてるのは気のせいかな?
唐突な消失は、そんな顔を見られたくないためにも思えるんだけど……あたしは再びため息をつくと、
『失敗したら承知しないからね』
『《魔法使い》を信じるのだ』
今まで幾度となく聞いた台詞に、あたしは思わず微笑んだ。
カードをポケットにしまい、あたしは美容院へ向かう。
前髪を、美容師さん以外の人に切ってもらうのって何年振りだろう?
昔はお母さんに切ってもらってて、そのうち自分で切ったりして……失敗もしたっけ。
《魔法使い》のハサミを持った姿を想像して、なんだか足取りも軽くなり笑みを浮かべながら美容院の扉を開いた。
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