投稿者:み〜なさん
「あああああ!」
「……ミーナ?」
彼女の叫び声に、青年は後ろから控えめに呼びかけた。
それは、なんてことない日だった。
あたしはいつものように、ホテルの一室で、テレビを見ながら何気なく髪をいじっていた。
「あ、枝毛」
と、毛先を見た。記憶無くしてから、美容院なんて行ってないから枝毛が増えた気がする。
ハサミを持ち出すのが億劫だったけれど、引き千切ってしまえば更に毛先が痛んじゃうしね。
あ、でもどうせハサミ使うんなら……。
指先で前髪を軽く引っ張ってみると、結構伸びたのがわかる。というか、最近よく目に刺さるんだよね……。
「美容院もいいけど……前髪くらいなら、自分で切ろっかな」
と、ハサミを持ったまま、バスルームへ向かう。
テレビの音量が高かったため、あたしはドアのノックが聞こえなかった。
前髪を濡らし、櫛で慎重に梳かしながら切る位置を決めると、あたしは更に慎重にハサミを入れてった――つもりが、なんだか左の髪だけ短くなってしまったので、右を短くしてみる。
前髪と格闘していたあたしには、呼びかける声も届かなかった。
そして鏡の中の自分は、揃えるつもりがいつの間にはざんばらになってしまった。
おまけに、じょきっと、手元が狂っておかしい所を切ってしまう。
あたしは思わず声を上げた。
「あああああ!」
(どうすんのよ、どうすんのよ、こんなの誰にも見せらんな……)
「……ミーナ?」
背後から突然呼ばれ、あたしはがばっと振り返ってしまった。
と、彼の目が点になるのと同時に、状況を思い出し慌てて両手で額を隠す。
「ド、ドアのノックくらいしなさいよっ」
「ぷっ……」
案の定笑われてしまい、あたしは情けない顔をしてしまった。
「カイン〜〜〜」
「いや、ごめん。でもノックもしたし声もかけてたんだよ?どうしたの?」
と、なおもくすくす笑うカインに、あたしはじっとりと見やって「前髪揃えようとしたんだよ!」と、つっけんどんに答えた。カインも洗面台にあったハサミを見て、ようやく笑いをやめてくれる。
「自分でやろうとしたわけだ?美容院くらい連れて行ってあげたのに」
「でも、ちょっと揃えるつもりだったから……」
カインは軽く肩をすくめ、
「ちょっと見せてごらん」
「え、やだやだ。恥ずかしいじゃん」
失敗作な上、それを年の近い男の子に見せるなんてとんでもない。
「僕が直してあげるから。少しはマシになると思うよ」
と、有無をいわさずあたしの手をどけてくる。
「……カインが?」
美容師でもない人に、これ以上触られる不安が表情にしっかりと出すと、カインはいつものように自信満々に「大丈夫だから、任せて」と、にっこり微笑む。
あたしはいつものごとく折れて、わかった信じる、と答えた。
……ちょき。
目の前に座るカインは、ゆっくりハサミを入れていく。その目は真剣そのものだ。
あたしはなんだか可笑しくて、口元に笑みが零れる。それをカインが見て、
「髪が目に入るから、目を閉じてて」
「はぁい」
優しく言われ、大人しく従ってから数分。
「はい、出来あがり。あとは乾かして終わりだよ」
胸元にかけていたケープを外され、あたしはゆっくり目を開けると、彼が手鏡を渡してくれた。
「……うまいね」
失敗したら、いじめてやろうとか考えていたのに、あたしは感嘆を込めた素直な感想を言ってしまった。
眉よりちょっと上になってしまったはしょうがない。切り過ぎたのはこのあたしなんだから。でもこけしのようにはなってなかった。縦にハサミを入れてすいたのか、前髪が不揃いな感じだがなかなか悪くない……というか、全然よくなった。
「ありがと。結構手つき器用なんだね。もしかして、妹さんのも切ってあげてたの?」
カインはドライヤーを持ち出して、「乾かすね」と、スイッチを入れる。
ドライヤーの音に混じって、カインの声が聞こえた。
「あぁ……うん。そうだね」
曖昧な返事は、ややもすると音に掻き消されそうだった。あたしは彼を見上げると、
「はい、おしまい」
オフにしてそれをしまうと、カインはあたしを双眸に収めた。
「兄によく切ってもらってたよ」
兄がいるなんて、初めて聞いた。
「小さい頃の話だけどね、それで僕も教えてもらったんだ」
紡ぐその声はとても静かで、まるで湖の底に沈んだ記憶を引きずり出しているかのように聞こえた。
「その、お兄さんて今は……」
カインの瞳がきょろっと大きくなった。次の瞬間、あたしは聞いてしまったことを後悔する。
「今は、もういない」
あたしはダチョウだ。
なんで、カインの微妙な変化に気づけなかったんだろう。
彼の兄はきっと、もうこの世にいないのだ。
前に言ってたじゃないか。カインは両親がすでに他界してて、家族は妹だけだって。
兄の存在を口にしなかったのは、何か別な『傷』が彼ら兄妹に残っているんだ。
「……ごめんなさい」
あたしは謝ることしか出来なかった。カインはそんなあたしの肩を軽く叩く。
「昔のことだから気にしないで。君がそんな顔をしたら、僕のほうが困ってしまう」
軽い口調で言い、あたしに微笑む彼。
「でも……」
「……ミーナは優しいね」
笑みはそのままだが、少し憂いを込めたものに変わった。
「僕のほうこそ……ひどいことをしてしまった」
「え?」
あたしは訳がわからずきょとんとしてしまう。
「いや、なんでもない」
ぽん、とあたしの頭に手を置かれ、なんだか子供扱いされた気がして、むぅとむくれてしまう。けれどそれは更に子供っぽさに拍車をかけるのだと、自分で気がついて肩をすくめた。
「ほんと、あたしってダチョウだよね……」
独り言だったけれど、カインは耳ざとく聞きつける。
「ダチョウ?」
聞き返されて逆に、あれ、と思ってしまう。
「日本のことわざかい?」
更に聞かれるけれど、あたし自身どう答えたものか考えてしまった。だから。
「……多分」
としか答えられない。
「ふぅん。じゃそろそろランチに行こう。それを言いに部屋に来たんだ」
カインは別に大して関心を示さずに、部屋の外で待ってるから。と、出て行った。
(ダチョウ)
ことわざ、じゃないと、思う。
でも、あたしは聞いちゃいけないことを聞いた瞬間そう思ったのはなんで?
「あたしは、ダチョウだ」
口に出して呟くけれど、わからない。大体、なんであたしがダチョウなんだ?
その生き物の姿を思い浮かべるが、もちろん似ているはずもなく。そもそも、無くした記憶に関係あるものかさえ怪しい情報だ。でも、誰かに言われた気がするんだよね。
「なんだかなぁ」
いつまでもバスルームにいる訳にもいかない。そもそもカインとキャロラインが待っているのだ。
支度を済ませると、ベットの脇の引き出しを開けて茶色いケースを取り出す。
大事な物だからいつも持ち歩いていたいけれど、下手に無くすと困るからちゃんとしまっているんだ。パチンと蓋を開けて、中のタロットカードを見つめる。
見るたびに思うけれど、本当に綺麗な絵だ。
その絵の彼に、いつもの挨拶をする。
「行ってきます」
ふと、ダチョウ説とこの彼を結びつけて、
「実は、あんたが言った言葉だったりしてね」
ふふ、と笑ってあたしはそれを引き出しにしまう。
あたしは軽くなった前髪を指で気にしながら、ホテルの部屋を出た。 |