投稿者:蓮さん
かつてそこに立っていたのは、誰でもない、あたし自身だった。
その時の気持ちを、あたしは今でもまざまざと思い出すことが出来る。
激しい嫉妬心と、途方もない不安。
だってその時、あたしは未来を突きつけられていたんだから。
タロットの精霊の協力者は、お互いの死を持ってしか、その役目を終えることが出来ない。
≪皇帝≫は≪魔法使い≫の変化した姿だ。その≪皇帝≫と協力者の≪女帝≫が結婚するということは、その時≪女教皇≫は≪魔法使い≫の協力者ではないということになる。
自分の死と、≪魔法使い≫の心変わり。
それがその時≪女教皇≫、つまりあたしに突きつけられていた未来だったのだ。
「まさか、あの時の花嫁が自分自身だったなんてね」
式の間中ずっと不安そうな顔をしていた≪女教皇≫を思い出して、あたしは苦笑した。
「ひどい顔してた。この世の終わりみたいだった。そりゃそうだよね、だってあたしは、≪魔法使い≫が≪皇帝≫であるってこと知ってたんだもの」
未来の自分の協力者が、他の女と結婚式を挙げている。そんな光景を見て、不安にならないほうがおかしい。
「ライコと≪女教皇≫は人の話を聞かなかったからなァ」
≪皇帝≫はニヤリと笑って、人差し指であたしの額を突いた。不意を突かれたあたしは、額を押さえてむくれてしまう。これだけは昔から、なんだかよけることが出来ない。
「≪魔法使い≫がどんなに言葉を尽くしてもすぐに忘れてしまう。だから不安になるのだ」
「今はちゃんと聞いてるよ」
「≪女帝≫は≪女教皇≫に比べて経験をつんだからな。≪皇帝≫の言うことが正しいということがわかっているのだろうさ」
≪皇帝≫はそう言って得意げに笑った。
「忘れっぽいのは相変わらずだがなァ」
「あんたの自信家っぷりも相変わらずだよねっ」
あたしは口を尖らせ、≪皇帝≫に食ってかかる。≪皇帝≫は楽しそうに笑って、再度あたしの額を小突いた。
「だが、そんな≪女帝≫ももう不安になる必要はない。何しろ≪皇帝≫と≪女帝≫は正式に夫婦となったのだ」
宝石のように煌く彼の瞳が、優しい色をたたえてあたしを見下ろしている。あたしはそれが嬉しくて、彼に1歩近づいた。
「もう何者も、≪皇帝≫と≪女帝≫を邪魔することは出来ない」
「・・・うん」
彼の瞳を見上げ、あたしは頷いた。
そう、もうあたしは嫉妬や不安に苦しむ必要はない。
最後まで彼の傍にいるのはあたしなのだ。
そう、最後まで・・・。
不意に、心に暗い影が落ちた。
この人が、あたしを置いていってしまうことを、あたしは知っている。
もちろんあたしは、≪皇帝≫をみすみす死なすつもりなんてない。それが事実だというなら絶対に改変してみせる。でも、≪皇帝≫を失った≪女帝≫がどうなったのか、実際に見てきたのもこのあたしなのだ。
≪皇帝≫は≪女帝≫をかばって死ぬ。それがあたしの知る未来。
もしその時が来たら・・・?想像するだけで体が強張るのがわかった。
彼を失う?彼があたしの前からいなくなる?今のあたしにとってそれは、何よりも恐ろしい考えだった。あたし達は常にお互いの存在を感じている。目を閉じていても、たとえ場所や時間を隔てていても、あたしは彼とのつながりを感じることが出来るのだ。
その彼が、いなくなってしまうなんて。
この瞳が、あたしを映さなくなる日が来るなんて。
「≪女帝≫はまた何かを考え込んでいる」
≪皇帝≫の声に、あたしははっとした。
あたしを見つめる≪皇帝≫の目には、悲しそうな色が浮かんでいた。
「いつもそうだ。≪女帝≫は先のことばかり心配する。先のことを心配し、怨嗟の声におびえ、≪皇帝≫の言うことに耳を貸そうとしない」
≪皇帝≫少し身を屈め、あたしの頬を両手で包んだ。大きくて暖かい掌に身をゆだねるように、あたしは目を閉じる。こつん、と額に何かが触れた。≪皇帝≫の額のアミュレットだ。
「目の前にいる≪皇帝≫を、何故見ようとしない」
あたしは目を開いた。目の前に、息のかかる近さに彼の顔がある。
「いつでも、≪皇帝≫は≪女帝≫の傍にいたではないか。それを見ようともせず、何故未来の≪皇帝≫ばかりを見る。それでは≪皇帝≫が今ここにいる意味がないではないか」
ゆっくりと諭すように、彼は言葉を紡いだ。あたしにしか聞こえない、小さな声で。
「≪皇帝≫はここにいる」
あたしはその胸にすがりつくようにして、彼の体に抱きついた。彼はあたしの背中に両手を回し、あたしの体を深く抱きしめた。大きな背を丸めて、ぎゅっと。
「忘れるな、≪皇帝≫は今、ここにいる」
「うん・・・そうだったね、ごめん」
あたしは思い出す。
そう、彼はあたしが何度記憶を失っても、彼を裏切ってるときでも、いつでも傍にいてくれたんだ。
それを考えず、あたしは彼に悲しい思いばかりさせてた。
「いつでも傍にいてくれたんだもんね・・・」
「そして、今も傍にいる」
「うん、傍にいる」
大きな手が、優しくあたしの頭を撫でる。
「約束しよう。≪皇帝≫は≪女帝≫を泣かせるような真似はしない。≪魔法使い≫のように無力ではないのだ。必ず、≪女帝≫を幸せにしてみせよう」
小さく耳元で囁く声はあたしだけのもの。
あたしはその存在を確かめるように、彼の胸に頬を押し当てた。
その声。その温もり。その鼓動。
全てがここにある。
彼はここにいる。
これが幸せじゃなくてなんだっていうんだろう?
「ううん、≪皇帝≫。あたしは幸せだよ」
彼の顔を見上げ、微笑む。
「あんたがここにいるってだけで、十分過ぎるほど幸せなんだ」
≪皇帝≫は目を細め、満足そうに頷いた。
「≪女帝≫もわかってきたではないか。≪皇帝≫はいつでも≪女帝≫のことを想っているのだ」
「あのねぇ。そういう台詞、2人きりの時はいいけど、他でいうのはやめてよね!恥ずかしいんだから」
「何を恥ずかしがる必要がある?≪皇帝≫が≪女帝≫を愛しているのは事実なのだ」
「わざわざ言わなくてもいい事実ってものもあるでしょーに」
「言わないと≪女帝≫はすぐに忘れてしまうからなァ」
「もう・・・!」
彼の腕の中で、あたしはむくれた。
あたしを抱きしめたまま、彼は声をあげて笑った。
これから訪れる怖い未来に、怯えるのはやめにしよう。
あなたはここにいる。
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