投稿者:成実志生さん
粉雪の舞い踊る街で、俺は彼女を待っていた。その場所で三十分近く待ち続ける俺を、街行く者たちが哀れみの目で見ていくのを苦笑しつつ見送る。物質の束縛を脱した身体が冷たさを感じることなどないのだから。
「ライコはのろまだからなあ」
彼女の協力者はいつもそう言って、彼女をからかっている。
だが、俺は彼女のためならばいつまでも待ち続ける自信があった。高校時代からずっと想い続けた彼女が、ようやく俺の気持ちに応えてくれたのだから。
「ごめんなさい。譲(ゆずる)。遅くなっちゃって」
肩で息をしながら、彼女が駆け寄ってくる幸福。いまだ協力者であることに慣れない彼女の仕草に思わず笑みがこぼれる。俺はこの日をどれほど夢みていたことだろう。
俺が彼女を好きになったあの頃そのままの姿で、彼女は俺の隣に立っている。
傍目には彼女より俺のほうが十歳は年長に見えるだろう。運命のタロット関係者以外の誰が信じるであろうか。彼女が俺の高校時代の先輩である、と。そして今、俺は
「いや。頼子が俺のために走ってきてくれるだけで、十分うれしい」
彼女を「頼子(よりこ)」と呼べる唯一の男だ。彼女はその言葉に頬を染め、
「バレンタインのチョコだよ」
と手に持った包みを押しつける。照れたような彼女も、また可愛い。
俺は包みを受け取ろうと手を伸ばした。だが――
「いい加減、目を覚ますのだ。ライコはもらっていくぞ」
どこかで聞いたような声がして、目の前から忽然と彼女が消えた。
「頼子、頼子ー!!」
必死の思いで叫んだところで、ハッと目を覚ます。
「夢か……」
苦い想いが胸をよぎった。幸せすぎた夢への未練。
「どうせなら、チョコレートを受け取るところまで目を覚まさずにいられればよかったものを」
「何をしているのだ、《恋人たち》」
その声に、彼はビクリと振り返った。
「《皇帝》……と《女帝》。久しぶりだね」
張りついたような笑みを慌てて浮かべる。
「挨拶などどうでもよい。《皇帝》は、《恋人たち》が何をしているのか、と聞いている」
救いを求めるような目を向けた《恋人たち》に《女帝》が呆れとも同情ともいえない複雑な表情を浮かべる。
「あたしは『別に夢なんだからかまわないじゃない』って言ったんだけどね」
「ただの夢ならば《皇帝》であろうと邪魔したりはしないさ。《恋人たち 》が何をもって、あの男に象徴の力を用いたのか、その理由が気になるのだ」
理由いかんによっては……と、剣呑な目を向ける《皇帝》に《恋人たち》が慌てて弁明を始める。
「僕はただ、恋人のいない彼に、せめて夢の中だけでもバレンタインの気分を味わってもらいたかっただけなんだよ、《皇帝》。彼女を相手に選んだのは、僕じゃなくて彼の心なんだ」
「二度とこのようなことをするな、《恋人たち》。……《皇帝》は嘘が嫌いなのだ」
厳しい《皇帝》の表情に、《恋人たち》も何かを感じたのか、黙って頷き去っていった。
その横では《女帝》が《皇帝》の言葉に異を唱える。
「夢の中の出来事に、嘘も本当もないでしょーが」
「《女帝》は《皇帝》のことだけ見ていればよいのだ」
その言葉に、《女帝》は照れた表情を彼に見せないよう顔を背ける。
相変わらずの彼女の態度に苦笑を浮かべた《皇帝》は、すぐに表情を引きしめて独りごつ。
「《恋人たち》も、残酷なことをする」
翌朝、目覚めた大河譲太郎の枕元に、綺麗にラッピングされたチョコレートが置いてあった。それは、夢の中で彼が受け取り損なった、あの包みそのものであった。
完
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